人文学

人文知コミュニケーションという輩を考えてみた。

こんにちは。きょんすけです。

学園祭が終わりましたね。今年は人文社会系学徒が集まって人文有志の研究発表ブースがありました。自分(そしておそらく運営陣の多く)の予想よりも遙かに多くの人が集まって嬉しい驚きでした。

今後の活動がどうなっていくのかも気になる所ですが、今回は、そもそもこの企画はどういう位置づけになるのか、を考えたいと思います。

 

科学コミュニケーションという輩と人文知コミュニケーションという輩。

「科学コミュニケーション」という言葉があります。サイエンスコミュニケーションの1つで非科学専門の人に(科学専門者が)科学的な話をすることを指すらしいです。この言葉は結構使われている様で、「科学コミュニケーション研究所」なるものもあるらしいです。

「異分野コミュニケーション」という言葉もあります。こちらは、専門の異なる研究者間で行われる科学的な話を指します。異分野コミュニケーションと科学コミュニケーションを図にすると以下のようになります。(http://tgn.official.jp/activity/ を参考)

イブにゃ

異なる分野の研究者間の会話はお互いに新しい知識になるし、科学コミュニケーションを通して世間・一般の人に科学知識を還元、フィードバックを得れるというわけです。

さて、ここで問題なのですが科学コミュニケーションの「科学」はどんな物を指すのでしょうか。ココは人によって認識が変わるのですが、自然科学、ざっくり「理系」がイメージにつきやすいらしいです。この認識のままだと理系は大切だけど人文系学問は必要ない、みたいな話に進みそうですよね。ここで人文だって大事なんだよ!ということで「人文知コミュニケーション」という言葉が新しく出つつあります。

「人文知コミュニケーション」は「科学コミュニケーション」に比べるとまだまだ定着されていない言葉なのですが、大学共同利用機関法人が「人文知コミュニケーター」なる役職を作ったりしています。筑波大学でも「人文知コミュニケーション」という大学院共通科目の授業ができています。この「人文知コミュニケーション」は科学コミュニケーションが理系なのに対して人文学系(ざっくり文系)を話す事を指すようです。

なぜずっと「らしい」「ようだ」を使うかと言うと、この「人文知コミュニケーション」の話を聞いた時自分は「分ける意味とは?」となったからです。自分は自然科学・人文社会系学・文系・理系全てを含め「科学コミュニケーション」だと思っていた人なので、わざわざ分ける意味・メリットはあるのだろうか?となりました。

そもそも文系/理系学問を考えてみる。

そもそも人文社会系学問と自然科学系学問は見ているものが違うのでしょうか。ここではざっくり「理系学問」と「文系学問」として考えていきます。結論として、やはり文系学問と理系学問だと同じ対象を見ても得られる知識が異なると考えます。「野菜を育てる」という行為を見るにしても理系だとどんな成分が化学反応をし・・・みたいな話になるけど、文系だと「農業という営み」についてみたいな話になるかと。どちらが良い、という優劣ではなくとりあえず大前提で理系と文系だと得られる知識が違います。この文理で得られる知識の違いを以下の様に図にまとめてみました。

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単純にとある事象(研究対象)の見る側面が違うから得られる知識が違う。というだけの図です。ここから言えるのは、どちらか片方の知識だけでは全体像の把握は出来ないということです。文系学問・理系学問それぞれの知識を得ることで事象の全てを捉えられるのではと思っています。

とある事象についてある観点から真相を明らかにする。それが学問なのではないのかなぁ。

人文知/科学コミュニケーションを考えてみる。

次に一般・市民・世間に還元するという事について考えてみます。さっきの話で理系・文系で得られる知識はある側面だけであるって話になっているので、理系だけ/文系だけの知識を還元することは事象のある側面だけを伝えている事になります。単純にそれって良いワケ?って話です。得られた各側面の知識を世間に還元することで一般の人の中で知識が統合されある事象を正しく把握できるのではと思います。

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理想論では図がいいですよね。つまりそれぞれの側面での情報提供は重要だという事です。なんなら理系文系どちらも一般に還元し事象の全貌を伝えきってこそ科学・人文知コミュニケーションの目的が達成されるのではないのでしょうか・・・。

結局、科学と人文知を分ける事。

人文社会学を伝える事を「人文知コミュニケーション」と分けることについて考えます。

①「科学」と言われて「自然科学」をイメージしてしまうのは、もう、しょうがない部分があるということ。そこで人文学問の知識も重要であると知らせる上で科学と人文を分離する意味はありそう。

②多方面に学問知識を知り、統合する重要さを伝えやすいということ。今回は文理の2つですが本来なら各学問分野でもっと多面的な知識提供が必要になります。その中で1つの概念として「学問を知る/伝える」というとらえ方だと分野の偏った知識提供/享受でも行為は達成されている。2つ以上あるから多面的に学ばなければね、って話にならないかなぁ。

特に②の「多面的に知る事が大事だよね」みたいな考えから言うと科学と人文知を分ける意義は大きいのかなぁとか思いました。将来的に「多面的に事象を知る事が大切だ」って事が一般化されたら、人文知・科学という区切りはなくなり、新しい○○コミュニケーションなる言葉ができるかもしれないです。そうだったら嬉しいですね。

 

○○コミュニケーションをする上で気をつけたいと思うこと。

①人文知・科学コミュニケーションはそれぞれ対等であること。

人文学優位説でも科学優位説でもないです。どちらの見方も偏りなく知る事で初めて事象の全貌が分かると思っています。最近は「人文はいらない」と言われるから、「そんなことはない!人文学は大切だ!」と叫ぶニュースとかを見ますが、「人文も大切」なのであって、「人文が大切」でも「人文至上主義」でもないと思うんです・・・。もちろん科学も同じです。

②誰にどんな目的でコミュニケーションを取るのかということ。

言語学の「コミュニケーション」というとやはり「相互行為」が印象にあがります。お互いが情報をやりとりしあうのがコミュニケーション。ただ自分のやっていることを発表するだけの場にならない、相手が理解できる工夫が大事だなと思います。相手が居てこそ、のコミュニケーション。学問をわかりやすく、楽しさを伝えられるコミュニケーションが大事だと思います。

 

 

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